前もって確たる見通しを立てるのではなく、何か支障があった場合にそれに対する対応策を考えるという手法を取ることが僕には多い。これは「行き当たりばったり」とも言う。
「行き当たりばったり」というと身も蓋もないので、たとえばこれを「実用主義」という言葉に置き換えてみると、何か少し格調高いスタンスに聞こえる。実は似ているが意味がずれている言葉なのである。ここで「行き当たりばったり」のマイナス要素が捨象されて、やや高尚なものへと遷移している。
さらにこれを英訳して「プラグマティズム」としてみると、哲学上の概念が付与される。ここでも意味のずれによってマイナス要素が捨象されている。
こうやって言葉を似た意味の言葉へと置き換えていくことで、くだらぬものが次第に高尚なものへと様相を変えていくように思う。
格好をつけて言うと「僕はプラグマティスト」ということも可能かも知れない。しかしそれは極めて局部的な意味においてのみ該当するものであって、「行き当たりばったり」という本質が変わるわけではない。せめて「行き当たりばったり」の生産的要素を抽出し、それを自らの指針とすることが出来れば良いのだが。