教職入門では小中学校の「観察実習」がある。1回生の必修であるから、授業の技術を観察すると言うよりも、教師とはいかなる職務をおこなうものであるのかを「児童生徒として」ではなく、「教師に準ずる立場として」観察することが主たる目的である。
つい3ヶ月前までは高校生であった1回生にとっては、大きな「意識改革」の機会であると位置づけていただきたい。小さなことから大きなことまでさまざまに感ずることがあるだろう。大学の中では缶コーヒーを飲みながら歩いていても構わないが、小中学校ではそれは許されない。茶髪やアクセサリーも子どもにマイナスの影響を与えることがあるので、普通は原則禁止である。堅苦しい「制約」が課せられると思ってはいけない。子どもたちは環境によって育てられる。もっとも影響力のある存在は保護者であり、教師である。教師として子どもたちの中に入ることを感じて欲しいのである。
児童生徒は「言われたことを実行する」だけで良いかも知れない。しかし、社会人は、まして教師はそれではいけない。状況を読み取り、柔軟に対応することが求められるのである。「椅子が足りないから、201教室から持ってきてください」と頼まれたとき、「201教室に椅子はありませんでした」と言って帰ってくるようでは困る。求められているのは「足りない椅子を確保すること」であるのだから、「使っていない202教室から椅子を借りてきて間に合わせる。そして使い終わったら返す」というような状況判断ができてこそ、社会人であると言えるのではないか。
だが、観察実習は気疲れするイベントであるだけではない。僕自身が30年前にそうであったように、「自分の目の前にいるこの子たちを、そのまま育てていけたら」という願いや確信が得られる機会であるはずだ。その経験は今後の大学生活において、自らの指針となるべきものだろう。
2年後の1回生、すなわち3回生では「教育実習」という重要なイベントが待っている。おそらく、人生でもっとも忙しくもっとも充実した日々になろう。その日のために何を学ぶべきかを身につけてきて欲しいと願う。
さらに付け加えるなら、最近の学生諸君は「活字を読む」機会が少なすぎる。活字を読むだけで事足りるわけではないが、せめて大学にいるときはもっと活字を読んで欲しい。人間はコトバを通して考えるものだからである。社会人になったら、あまり活字を読む時間が取れないと覚悟しておいて欲しい。