蛍を見に行ったのは2,3年ぶりかも知れない。そもそも蛍は見に行くものではなくて、梅雨から七夕の頃の夜にはどこにでもいるものだった。蛍の水辺は日常生活の中にあったからだ。住宅地の中にも農業用水が流れていて、そこは蛍の生息地であった。
30年ほど前に名古屋に住むようになってから、蛍は非日常の存在になった。それでも、7月のゼミ合宿では奥三河の山小屋あたりで毎年蛍を見かけた。山あいの水田に乱舞する蛍を見たのはその頃のことだった。野球場程度の空間に明滅する無数の光点は、天の川の星ほどあったという印象だけが残っている。誰かに尋ねなければもう場所もわからなくなってしまっている。
奈良市街地の一角に「大仏蛍」と呼ばれる蛍の生息エリアがある。二月堂から日没を眺め、奈良盆地の灯りが瞬き始めた頃に二月堂を下りて大仏殿の裏手に向かう。辺りが暗くなると、水辺の近くに小さな光が漂い始める。心なしか明滅がのんびりとしているように思える。数えることのできる程度の数である。20か30か、おそらくはそのくらいだろう。「昔はこの程度の蛍はどこにでもいたんだよ」と、年寄りじみたことを口にしてしまう。そんなときには必ず脳裏に奥三河の蛍が浮かんでいる。手の届く近距離から数メートル、数十メートルのあたりまで蛍に囲まれた印象はそうたやすく消えることはない。蛍の乱舞の中に立つと、光点に囲まれるだけではないからである。無数の蛍の群れには特有の匂いがある。昆虫らしい青臭い匂いである。近寄ってきた蛍をそっと掌に載せて、しばらく緑がかった光を見てから手を差し上げると、蛍は何事もなかったかのように仲間の群れに帰って行く。複数のチャネルでとらえた印象は強い。決してテレビでは得ることのない感覚である。
今年こそは蛍の乱舞をといいながら10年、20年と時が過ぎていく。願わくば再び、掌の上で蛍の明滅を見てみたいと思っている。