秋は10月の3連休だけ、「五大虚空蔵菩薩像」の多宝塔特別拝観があったので神護寺に行ってきた。1/3世紀ほど前に訪れたときのイメージのままであったが、川縁から山門までの参道にかつては店はなかったと思う。バス停の辺りに酒屋兼食堂があって、そこで「甘酒」を飲んだのを覚えている。その店は代替わりして続いているようだった。当時なぜ甘酒しかなかったのか思い出せないが、当の甘酒は今でもあるようだ。
東京で五大虚空蔵菩薩像を拝観し、神護寺まで拝観に来る参拝者がいるらしい。博物館という空間ではなく、神護寺のある空間、そして多宝塔の空間に鎮座している姿が真の姿と思う。展覧会出張は真の姿に出会う契機として価値があるわけである。空間から切り離された「部分」は完全体ではないからだ。
まだ紅葉が始まったばかりの境内は人気が少なかった。この人気の少なさも神護寺の魅力であるように思う。金堂、多宝塔と巡って最後に「かわらけ」を投げた。僕が思い描く理想的な軌道でかわらけは飛んでいった。遠くに落ちたので、皿が割れる音は聞こえなかった。
帰路、10年ぶりに北山通りに出た。街は賑わいを増している。ストリートミュージシャンがずいぶんと多かったのも印象に残った。街は若くて活気に満ちている。仁和寺も金閣寺もかなりの人出があるようだ。ホンの少し山に入った神護寺の静寂とは対照的であった。紅葉の頃には神護寺も賑わいを見せるのだろうか。