この時期にH24年度の免許更新講習の書類を提出しなければならない。自分が担当する場合の講習形態や内容について考えていたら、もう午前4時になっている。冷え込んできたと思ってデータ放送をみると、奈良盆地はすでに氷点下1.3度である。最低気温が氷点下3度という天気予報はほぼ当たっている。
ひと月前には夏日があった。今年は秋が短かったという印象が益々強くなった。
この時期にH24年度の免許更新講習の書類を提出しなければならない。自分が担当する場合の講習形態や内容について考えていたら、もう午前4時になっている。冷え込んできたと思ってデータ放送をみると、奈良盆地はすでに氷点下1.3度である。最低気温が氷点下3度という天気予報はほぼ当たっている。
ひと月前には夏日があった。今年は秋が短かったという印象が益々強くなった。
当然大学によって制度が異なるが、僕が学部生だったときは、3年生と4年生で同じ名称のゼミが履修できて、別の単位としてカウントしてもらえた。僕は教育方法学講座の所属だったので、3年の時は教育方法演習を通年で2コマ。それに加えて、教育原論演習を通年で2コマ。4年生の時も教育方法と教育原論の演習を受けた。卒業論文の締切が近づくと演習の出席者が減った。演習に出席する時間も惜しいくらいに書かなければならないゼミ生が多かったからか。
卒論と言えば、僕が4年生の時までは卒論は「手書き」しか認められなかった。したがって書き損じはそのままタイムロスになるし、章構成の変更なども手軽には出来なかった。何も考えずに清書するだけで1日20枚がやっとだった。ボールペンでは手が疲れて書けなくなる。普段はめったに使うことのない万年筆を使った。モンブランとパーカーを交互に使いながら、書き損じた字の上に紙を貼って(修正液ではないですよ)直しながら書いた。僕が卒業した翌年から卒論は「ワープロ書き」が認められるようになったので、何だか悔しい気分だった。ワープロで書くのと、手書きをするのでは能率が違うと思われるが、ワープロの方が良い文章が書けるわけではない。簡単にコピーアンドペーストができるので、文章が冗長になったり、同じ記述が何回も出てきたりすることにつながりやすいのである。
最近は文章を手書きすることがほとんどなくなった。学生時代にはあった「ペンだこ」も消えた。たぶん書けない漢字が増えているだろうし、字も下手になっているのではないだろうか。筆を使って一千年余り。ペンを使って百年余り。ワープロ&パソコンで30年ほど。これから書く作業はどう変わっていくのだろう。
ちなみに、僕は手書きするなら、ブルーブラックのインクで太めに大きな字を書いた方が良いと思う。ただの個人的趣味だけれど。
ブルーバックスのタイトルである。数式を使わないで相対性理論の解説を試みている。子どもが、天体と物体の間にはたらく引力に関心を持っているため購入してみた。確かに数式は使っていないが、10歳の子ども全てが読解できるほど易しい本ではないだろう。ただし、面白い本だ。僕の得意分野が数学と物理学であったのは、子ども時代に「相対性理論」の魅力にとりつかれたからに相違ない。
僕の記憶が確かならば40年ほど前、小学校の後半くらいの時期にブルーバックスで「相対性理論」を読んでいた。当時は数式が載っているものしかなかったので、数式は飛ばして理屈だけを読んだ。宇宙物理に関心があったので、常識を覆す「相対性理論」は「あこがれの本」だったと思う。
当時は推理小説にも凝っていて、江戸川乱歩の他に、コナン・ドイル、モーリス・ルブランの翻訳は全部読んでしまった。今にして思えば小学生が江戸川乱歩の『大暗室』を読むなんてあまりお薦めできないような気がするけれど。
やはり小学校中学年くらいの段階で「読むべき本」はあるように思う。子どもの人格形成にとって多大な影響を与えると考えるからだ。"Bildungsroman"という、そのものズバリのジャンルがあるではないか。自分は、少年少女世界文学全集と、学研のジャンル別百科事典を繰り返し読んでいた。まだ、自分の進路について考えるには早い時期である。ただし、得意教科と苦手教科で必然的に進路が決められてしまうよりも、子どもの関心の広がりに任せて読ませたいという思いはある。
「なぜ学習者にとって日常的なありふれた教材が良いのか」という質問を受けたので、こちらにも書いておく。
学習者にとって、奇異で珍しいものに価値がないわけではない。新しいモノやコトに出会うことで知的好奇心を刺激されて探求意欲がわくことも事実だ。そもそも学校教育において学習者にとって未知なるモノを扱わずに済ませることが出来るはずもない。
そうであるならなぜ、教材開発において「日常的なありふれた教材」が望ましいと話したのかというと、理由は主に2点ある。
第一に、特に低学年・中学年の子どもたちにとっては学習活動の場と日常生活の場が重なっている。学年が上がるにつれて次第に身近な教材だけを扱った授業構成が困難になってくる。「ありふれた日常」こそが、学習対象としての価値ある存在であるという確信を子どもたちに持って欲しい。学習対象となる事物や事象が、他の要素といかに関わりを持ってその姿を見せているのかをとらえることも可能である。遠い土地の珍しい事物や事象では、教材そのものを把握する視点も限られるし、他の要素との相互関連を見ることも非常に難しい。「ありふれた日常」への探求が、学習の深化に寄与するという確信を子どもたちに持たせたいのである。
第二に、子どもたちに身近なモノやコトへの親しみや誇りを持って欲しいというねらいがある。教科書に載っているモノや世界遺産や国宝が身近になかったとしても、それは子どもたちの生活空間の無価値を意味するのではない。「ありふれた日常」に関わる主体は、まず子どもたち自身であり、子どもたちの身近な人々であり、そして子どもたちの先祖たちである。「ありふれた日常」と関わることで、地域社会についての理解を深めるのみでなく、その地域への愛情と誇り、その地域に暮らす人々、その地域で生きた人々への親しみと共感を持って欲しいのである。それが地域を学ぶ価値でもあり、生活者として行政や政治へと関心を広げる足場となるはずである。
ここでは限られたことしか書けないが、趣旨として受け取っていただきたい。ただし、「ありふれた日常」以外の教材開発をすることを批判することはないので、出来るだけユニークでオリジナルな教材を、学習活動と合わせて構想していただきたいと思う。
土曜日の予定が雨天順延で日曜日の運動会となった。参加する子どもは月曜日に代休があるが、保護者はそうではない。本当は予定通り土曜日開催だと有り難かったのだが、天候は致し方ない。
運動会には保護者の演目がある。大玉運びリレーである。昨年度はスポーツの出来る父とペアになってしまい、僕だけが取り残されるような感じだった。これはあまり格好が良くない。
今年も偶然同じペアであった。昨年の運動会でスポーツに目覚めていればひと味違うところを見せられたのだが、1年間でスポーツらしいスポーツはしたことがない。よって今年もほぼ同様の状況であった。
こういうときのために保護者も運動会に備え、良く運動していれば、運動会では活躍できるし、医療費の抑制に繋がるかも知れない。
ところで、保護者の参加人数がアンバランスであったので、もう一回走らされる羽目になった。結果は4グループ中1着だったので、良しとしよう。(自分は全く貢献していないのだが)
授業で教育実習の振り返りをすることにして、実習報告を提出してもらった。そのうちの1/4ほどは実際に研究授業を見せてもらっている。読みながら自分の教育実習を思い起こしてみる。もう30年も前のことだが記憶は鮮明だ。
僕は教員養成学部ではないので、教育実習は学部4年生の6月だった。前の年、出身高校にお願いして教育実習をさせていただくことになった。母校は快く実習を受け入れてくれた。事前指導は実習開始の前々日の土曜日だった。国語科研究室を訪ねると使用している現代国語と古文の教科書を渡されて、月曜日1限から授業がありますので頑張ってくださいと言われた。まず参観してから授業をさせてもらうつもりでいたため大いに慌てた。2週間で30コマ程授業をさせてもらった。
2週間の実習中、現代国語では川端康成の『掌の小説』、古文では『方丈記』を扱った。古文の文法や語彙の面で僕は生徒よりは知識も読解力もあるが、現代国語はそうではない。「バッタと鈴虫」という作品に描かれているのは淡い恋心にも似た少年少女のみずみずしい感情である。僕がそれを充分にとらえることができていないことは授業を始めると間もなくわかった。生徒の方が掌編小説の世界に近い感覚を持っている。それをありきたりの分析的解釈で破壊するのがためらわれる思いだった。
指導教諭はバスケ部の顧問で、毎日夜まで部活の指導があった。毎回学習指導案を持っていくと必ず「よろしいんじゃないですか。まあやってみてください。」という反応で、決して何かを批判されたことがない。批判されないのはかえって不安である。どこが良くてどこが悪いのかもう一度自分で考えなければならない。それがはっきり自覚できるのは授業の場面だ。問い方が悪ければ反応が悪くなる。焦るとさらにしどろもどろになる。僕が専攻していたのは教育方法学で、主として小学校の社会科授業が専門だった。高校の国語授業では、大学で学んでいることがほとんど活かせなかったという後悔が残った。
最後の授業の後で、反省会があった。「板書の字が高校のどの先生より美しかった」、「方丈記の朗読が朗々としていて良かった」・・・。うーむ。結局授業の方法では全く褒められていないではないか。最終日に生徒に書いてもらった感想もほぼ同じだった。「字と朗読」、評価してもらえたのはそこだけだったようだ。
実は教育実習より前、学部3年生に時に1週間のゼミ合宿で、奥三河の小学校に通っている。全校児童100名に満たない小規模校である。それ以外にも頻繁に小学校の授業参観をし、小学校の授業実践をしている。それに比べると教育実習は不本意だったと思う。
ゼミ合宿では小学校3年のクラスに貼り付いて過ごした。3年生はかなり活動的、言い方を変えれば感情を身体で豊かに表現する年齢段階である。身体的にはハードだが、もっとも興味深い学年である。ある日、校舎に迷い込んだ小スズメが窓ガラスにぶつかって落命した。僕が動かなくなったスズメを手のひらに載せて涙を落としていたら、クラスの子がどこからか小さな白い箱を持ってきた。箱に白いハンカチをおいて、スズメを寝かせた。ひとりの子がティッシュペーパーを小さく折りたたんでスズメの枕を作った。みんなで校庭の片隅に小さなお墓を作って「スズメのはか」と墓碑を立てた。当たり前のように命を愛おしむ気持ちが伝わってくる。この子たちがこのまま大人になって欲しいという思いが、それ以来僕の心の中にあるのだと思う。
大人は子どもたちの感性に及ばない。何かを教えるのではなく、子どもたちと一緒に学ぶ。いや教えてもらうことの方が多い。その子たちを育てる責任は大人にあるわけである。教師の担う責任は大きく、そして極めて重要だと思っている。
教育実習を終えた3回生が、学校教育に対する意識を大きく変えて帰ってくる。大学では学ぶことができないその経験がおそらくは大学生活の中でもっとも重要であると言って過言ではない。大学に戻って、焦点化された「自分のテーマ」を追及して欲しいと思う。大学は、何人の教員を輩出するかで価値を問われるべきでなく、有為な人材を送り出すことができるかで価値が問われるべきだろう。今年の3回生に期待したい。