複数の新聞報道によれば、復興相が岩手・宮城の県庁を訪問したそうだ。(読売、時事)
岩手での発言「知恵を出したところは助けるけれど、知恵を出さないやつは助けない」。「九州の人間だから何市がどこの県とかわからん」。
宮城での発言では知事が自分より遅れて入室したことに対して「お客さんが来るときは、自分が入ってから呼べ」。重点的漁港整備の要望については「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々も何も知らんぞ」。という態度だったらしい。
復興相の立場でありながら、被災地の自治体を把握していないことを公言することが不適切であるという認識がない。何より、被災地にとって復興相は「来賓」であると公言したのは致命的失言だ。復興相の権限は知事を超えるだろう。しかし、それは復興相が知事よりも偉いということではない。復興に努力する多忙な知事が、被災地についての知識も復興に対しての方針も持たない大臣に会うためにわざわざ時間をつくってくれたことを申し訳なく思うのが人間としての常識だ。この「自分は来賓」発言は、復興相が復興よりも自らの「地位と権限」をアピールするために被災地を訪問したことを象徴するものである。
多くの自治体が被災し、行政機構が損なわれている中、復興相は損なわれた被災地の機能をサポートし、復興のために汗をかく責務があるのではないのか。被災地に関する知識もなく、被災地の感情に対する配慮もできず、自らが被災地で「来賓」扱いされるべきと思っている時点で、被災地は復興に対して大きな失望を覚えたことであろう。この訪問は、復興相人事の失敗を被災地に印象づけた。国会では復興相の発言が問題にされるであろうし、任命責任も問題にされることになるだろう。誰が首相をするかでもめていることと同程度かもっと次元の低い話に思えて仕方がない。