最近20年間ほどの間に顕著に感じることがある。日本人は大丈夫かという不安に駆られるのである。
10年以上前に、デパートの寝具売り場で「ボックスシーツ」を買ったことがある。ベッド用のシーツでゴム紐によってベッドマットにかぶせて固定できるようになっているものである。売り場で「ボックスシーツはありますか?」と尋ねると、「あいにくボックスシーツはお取り扱いしておりません。今は皆このようなゴム入りのシーツが主流でございます。」と言って店員が出してきたシーツは、パッケージに「ボックスシーツ」と大きく印刷されている。寝具売り場でボックスシーツを知らないとはなんと言うことかとあきれた記憶がある。
これもやはり10年近く前のことであるが、アウトレットモールで在庫切れ商品の取り寄せを頼んだことがある。代金と送料を支払おうとすると「お取り寄せの商品につきましては、現金書留でお代金と送料をお送りいただいてからの発注とさせていただいております。」と言う。店頭に来ている人間に「現金書留で料金を送れ」という思考回路を疑ったが、店長に話をすると「ご来店いただいているお客様から、現金書留でお代金をいただくようなことはございません」と明言した。それはそうでしょう。社会的な常識から言って、信じがたいことだから。
この夏、大坂の老舗デパートに靴を買いに行った。片道30キロの道のりであるからまず在庫確認をする。商品の色はキャメルと、ブラウンとブラックがあるということで、ブラウンとブラックの取り置きを頼んで出かけた。店頭について取り置きの品を頼むと、出てきたのはキャメルとブラック、しかもブラックはサイズ違いだった。「お願いしたのはブラウンのはずですが」というと、キャメルの色を示しながら「こちらの色はチョコレートブラウンとなっております」と言う。キャメルとチョコレートブラウンでは明度が全く違う。黄色と焦げ茶であるから大いに違う。黄色の靴を見せられてこちらが「焦げ茶」ですと言われても、納得のしようがない。当然その店では取り置き商品はなかったわけである。デパートに入っている別の靴店でブラウンを見つけて購入した。
本学は教員養成の大学である。教員は教師である以前に社会人としての良識と判断力を備えているべきである。周囲が緩んでいても自らを緩めてはいけない。教師が緩んでいては将来を担う子どもたちが育たない。教師の年齢構成に不都合があることは十分承知している。だが、20代、30代の教師と50代の教師の安定感には年齢以上の差があることを実感している。本学で学ぶ諸君には将来指導的な立場で学校教育を牽引して欲しいと願うばかりである。