NHK地上波総合で、一昨年と昨年に放映された『坂の上の雲』の再放送をしている。NHKの場合、素直に「再放送」と書いてあることは少ない。「特別放送」とか「アンコール放送」とか若干違うニュアンスで番組表に示されている。実際のところ民放とは異なり、視聴者の要望を反映した編成もしているのかも知れない。
今日は第7話『子規、逝く』を放送していた。来週金曜日は第8話の前編、後編が放送されるようだ。このたびの再放送は今年放映される第10話〜最終話に備えてという趣旨だと思うが、放送スケジュールに若干の不満がある。放送が木曜日と金曜日の夕刻16時過ぎから、しかも1話を前編と後編に分けて放送するのはともかくとして、放送日が変則的すぎるのである。たとえば大相撲中継のあるときは2週連続で放送がなかったかと思えば、来週のように前編と後編を金曜日に放送してしまうこともある。第1話から第5話までは録画できたが、それ以降は諦めた。
実はこのドラマの録画は第1話からすべてデッキに残してある。録画したのはBSハイビジョンの放送であるから、地上派よりも映像がきれいである。地上波はフルハイビジョンではないから当然である。必然的にBSハイビジョンの方がデータが大きいので全話まとめてディスクに書き込みをする際に、地上波録画データがあった方が都合が良いと思っただけのことである。
学校から帰ってきた子どもがドラマのテーマ音楽を批評して「この音楽いいね。さすが久石譲だね」と言う。「『歌の力』と全然違う」と付け加えた。久石譲と言えば、ジブリの宮崎アニメの音楽で知られているから、子どもにとってはもっとも馴染み深い作曲家なのだろう。確かに、坂の上の雲やジブリ作品のテーマ音楽は良いと思う。映像と音楽のイメージがしっくり馴染む。というより相乗効果をもたらしていると思う。だったらなぜ「歌の力」の音楽がピンとこないのかと想像するに、具体的なイメージがないからではないだろうか。音楽によって表現したい具体的イメージがないとメロディも浮かびにくいだろう。そう考えると物語の世界観を表現することはできても、観念的な「歌の力」を表現するのが難しかったということではないか。
話題は少し飛ぶのだが、研究アプローチの際も筆者の頭の中にどれくらいクリアなイメージがあるかによって、論文の出来具合が変わってくるのではないか。ここまで言ったら「こじつけ」になるだろうか。