中間発表があった。中間発表と言っても、提出まであと一月あまりだ。印象としてはほぼ完成していて、あとは推敲をするという段階だと思う。このような場があると相互に学び合うことができる。
僕は1984年の12月に提出したが、当時は「ワープロ不可」即ち手書きである。手書き卒論最終年度であった。提出ひと月前くらいからは、ゼミの欠席者が増えてきた。皆自宅で清書を始めているのである。4月に指導教官の印をもらってテーマを提出した。その際に章構成の案を見せたような気がする。それ以降は、何もイベントがなかった。僕は3つのゼミに所属していたが、ゼミは卒論とは関係なく進められたから、ゼミメンバーの卒論テーマも知らなかった。そう言えばメンバーの進路も知らなかった。知らないと言えば、指導教官も僕がどんな風に書いているのか知らなかったはずだ。教務係提出であったので、卒論は教務課から指導教官に渡り、計3名の教官に回覧された。2月に大学院入試で卒論口述試験があって、それはそれは厳しい批判を受けてすっかりへこんだ記憶がある。中間チェックがないのだから当たり前かも知れない。「場」としても、あちらは3人、こちらは1人で圧倒的に形勢不利である。
卒論口述試験はその数日後だった。またあの針のむしろに座るのかと思いながら、おそるおそる3名の教官が待つ試験室に入ったら笑顔で迎えられた。
「先日終わっていますから、雑談でもしましょうか。」